挑戦1中国に唐代密教をお返しする
文/静慈圓
これからも続けていきたい
中国での唐代密教の復興
弘法大師空海の研究を続けるなか、空海が唐から持ち帰った「密教」を、中国にお返ししたいと考えるようになった。会昌5年(845)の仏教弾圧で継承者である阿闍梨を失い、中国の密教は消滅した。しかしいま、改めて自国を見直す中国の人々のなかで、唐代文化・密教が注目を集めているからだ。これまで次の3つの方向から進めてきた。
学問として密教をお返しする
私はここ20数年、中国において「唐代文化」「唐代仏教」「唐代密教」の国際学会とかかわってきた。このことは自著『空海と共に生きる』に詳しいので割愛する。
阿闍梨をつくる
密教は阿闍梨がいなければ継承できないが、現代中国に阿闍梨はいない。唐代密教を継承していると名乗る偽阿闍梨も出たが、見抜く僧も政治関係者もいない。
そこで、空海からの密教が継承される高野山金剛峯寺に中国の僧を招き、得度を行った。訪れたのは、青龍寺(1984年に日本の真言宗各派総本山会が「恵果空海紀念堂」として再建)の寛旭方丈(住職)で、次いで揚州市・大明寺の能修方丈が得度した。両人は四度加行を成満、伝法灌頂を受けて阿闍梨となり中国へ帰った。
能修方丈は、自分よりも3年早く自分の弟子である仁如法師を高野山に送り込んでいた。私は高野山の専修学院に入れた。日本語に精通しており、弘法大師の再来のような若者であった。現在、高野山内の寺院でも、中国僧が加行する例が出てきている。
密教道場をつくる
中国にはすでに密教道場があるが、どこか違っている。日本の阿闍梨がかかわる必要があると感じ、私は現在、2つの道場づくりにかかわっている。
【揚州市・大明寺】
現在、大明寺に密教道場「密厳院」を建設中である。中国から設計士などに高野山に来てもらい、種々の建築・道場を見学いただき、構想を練った。また、中国には密教の資料がないため、密厳院に「静慈圓研究室」を設け、私の密教関係の図書をすべて寄付することにした。現在、形は完成し、内装の施工中である。
【河南省・妙楽寺】
中国に伝わった釈尊の舎利19カ所のうち、15番目と記される妙楽寺の舎利塔。中国政府から、国家級の文化遺産に指定されるこの塔を中心に、妙楽寺は現在復興中だ(建物はすでに完成)。
そして私は、妙楽寺の住職・釋延琳法師から、「妙楽寺に接して、唐代密教の伽藍をつくりたい」との要請を受けた。延琳法師は清凉院を訪ね、私も妙楽寺を訪ね、お互いに行き来しながら密教伽藍の構想を練った。現在、中国政府に建設の申請中である(新型コロナウィルス感染症の流行を受け、一時休止中)。
中国における唐代密教の復興には、中国政府も仏教界も関心をもっている。しかし日本の密教者がかかわらねば、正当な密教は中国に帰らない。今後も、この取り組みを続けていくつもりである。