高野山清凉院住職
高野山真言宗前官
静 慈圓しずかじえん

書道通信指導 南山書学院 開校中

高野山清凉院 紹介

静慈圓(高野山清凉院住職・高野山真言宗前官)-高野山根本大塔

静慈圓(高野山清凉院住職・高野山真言宗前官)

静慈圓(高野山清凉院住職・高野山真言宗前官)-高野山清凉院

静慈圓マンダラ

  • 冒険家
    中国・チベット・ラダックほかで曼荼羅探索など
  • 空海ロード開創者
    空海入唐の道2400キロを辿る
  • 中国“唐密”復興者
    空海を通じて密教の教えを中国に戻す
  • 高野山大学名誉教授
    2017年まで高野山霊宝館館長
  • 僧侶
    高野山真言宗伝燈大阿闍梨
    高野山清凉院住職
  • 合気道高段者
    高野山大学、自坊にて合気道を指導
  • 空海研究者
    多くの著作論文ほか、中国で国際学会を実施
  • 書家仏画家
    各地に石碑を建立、中国で個展開催など
  • 謎の趣味人
    ダンス、フルート、ハーモニカなど

静慈圓の多彩な活動の中から主だったものを抽出。静慈圓は人間が培ってきた学術や文芸や武道にことのほか関心を持ち、体当たりでそれらを学び修得していった。

現在


  • 高野山大学名誉教授
  • 清凉院住職
  • 高野山書道協会理事
  • 書道研究璞社常任理事

中国

  • 空海研究会名誉顧問(福建省)
  • 少数民族・羌族名誉村民(四川省)
  • 藤椒文化博物館文化経済顧問(四川省)
  • 震旦仏教芸術研究院密教美術顧問(河北省)
  • 西北大学仏教研究所顧問(西安市)
  • 西泠印社名誉社員(杭州市)

静慈圓 略歴

空海と共に生きる高野山真言宗の前官。
中国に空海ロードを開創、そして書聖に。
いま、空海の教えを高野山から世界に発信。

昭和17年(1942)11月16日、徳島県の寺院で産まれる。小学校高学年で得度し、高校卒業後は高野山大学に進学。昭和40年(1965)3月、高野山大学密教学科を卒業。

その後、同大学院に進み、昭和46年(1971)に密教学科助手となり、さらに大阪大学大学院で学んだのち、昭和49年(1974)に高野山大学講師に就任。昭和54年(1979)に助教授となり、平成2年(1990)に教授に昇進する。

爾来じらい、20数年に及ぶ長きにわたり、学問の研究と後進の育成に尽瘁じんすい。その間、学内において、文学部長、学長補佐、副学長の要職を歴任。高野山真言宗内においても歴代内局のもとで、金剛峯寺耆宿きしゅく、宗会議員などを務める。山内の文化財を管理・展示する高野山霊宝れいほうかん館長にも就いた。

業績は多方面にわたるが、研究面では特に漢文を基礎に置いた弘法大師の思想研究に力を注ぐ。その成果は、数々の著書に結実されている。

また、学問成果のダイナミックな展開として、密教を通じて中国との間に学術文化交流の道を切り開き、さらに人間空海の入唐にっとう求法ぐほうの道を辿る「空海ロード」を中国に開創するといった功績も残す。平成20年(2008)に、碑文を書いた空海の顕彰碑「弘法大師空海越州えっしゅうえっひ縁起えんぎ」が書聖・王羲之おうぎしの墓塔のそばに建立されたのも、書家としての実績だけではなく、これまで日中交流に果たしてきた功績も評価されてのものであろう。また同年、高野山大学を退休し、名誉教授となる。

そして平成30年(2018)、高野山真言宗の第519世寺務検校執行法印じむけんぎょうしぎょうほういんに就任。法印は高野山真言宗の最高僧位で、任期中の1年間は山内から出ず、弘法大師の名代として重要な法会や儀式の導師を務めた。翌年、高野山第519世寺務検校執行法印成満・前官。

現在も書画に励み、研究を続けている。自坊の清凉院で南山書学院を開き、書道の通信指導も行う。

  • 1942年徳島県生
  • 1971年高野山大学大学院博士課程修了
  • 1974年大阪大学大学院中国哲学専攻研究生了
  • 1989年学修灌頂入壇・伝燈大阿闍梨
  • 1990年高野山大学教授
  • 1996年高野山・清凉院住職
  • 2002年博士(仏教学)取得
  • 2004年高野山大学副学長
  • 2009年高野山大学退職
  • 2010年高野山大学名誉教授
  • 高野山霊宝館館長
  • 2012年任大僧正
  • 2018年高野山第519世寺務検校執行法印
  • 2019年高野山第519世寺務検校執行法印成満・前官
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